Area 会場
多治見
「沈子(ちんし)」という魚網用のおもりを生産していた工場跡地。ある日突然閉業したため、製作途中の状態がそのまま放置されるなど、当時の様子が色濃く残っている。薄暗く水平に細長いボリュームのモロと呼ばれる木造の作業場と、軽快で高さのある開放的な鉄骨造の窯場の対照的な空間特性を持つ二棟に分かれている。
多治見市高田地区は「青土」と言われる良質な土に恵まれ、古くは山茶碗、江戸中期以降は徳利の生産で繁栄した。ある時期までは土の利用を厳しく制限するなど、地域の結びつきが特に強く、起伏が激しく入り組んだ地形も特徴的。今回の会場の中でも、失われつつある産地の雰囲気をもっとも強く残す場所であると言える。
衣食住という生活の基本から美術・工芸の在り方を問うてきたギャルリ百草の目的は、西洋アカデミズムから脱し、日本人にとっての美を探ることだった。
古民家を移築して開廊してから26年が経ち、美術・工芸の境界が少しずつフラットになりつつあると感じている。
「ART in MINO 土から生える2024」では古道具、パフォーマンス、花生けとカテゴリーを広げて展開する。百草では4人の作家が参加し、森の中で内田鋼一と森北伸がサイトスペシフィックな作品であり、火 / 水 / 土 を使った作品を設置。室内では安藤正子と安藤雅信が室内の空間の特徴を活かした展示を予定。
多治見で見られる作品
多治見のイベント
土岐
世界的な東洋陶磁の研究者でありながら、自らも陶芸家として数々の名作を残した小山冨士夫が作陶三昧の晩年を過ごした自邸と花の木窯は、いまだにその息遣いが残る場所である。
小山邸の周辺には、彩豊かなハナノキが背高くそびえる。
このハナノキにちなんだ名の蛇窯は、種子島焼きを焼成するため、窯焚きの終わり頃に窯床の下に仕込んだパイプから水を噴出させる構造としているのを特徴とし、小山が没頭した作陶の忘れ形見といってよいだろう。
下石陶磁器工業協同組合は、現在も70を超える窯元が存在する下石(おろし)地区において、1947年に設立された組合。
「下石」という地名は、会場近くに流れる妻木川の急流に運ばれた石が堆積した土地という意味にちなんで、戦国時代につけられた。
会場となる旧釉薬工場は、釉薬を製造する大きなタンクのトロミルが連なり、貯蔵便の丸い木のふたの下には、白く固まった釉薬が残っていました。今日において釉薬を共同で作ることは珍しく、そうした工場が残っていることも稀なことである。
2階の資材置き場は、長らく人が足を踏み入れたことがないまま、現役の建物の一角にあり、時間が止まったような不思議な空間といえる。
土岐で見られる作品
土岐のイベント
瑞浪
瑞浪市民公園にあった地球回廊は、第二次世界大戦の1945年に航空機製造の疎開工場として掘られた地下壕を活用して、1993年に建設。
地球史に関する博物館で、地球の誕生から生命の歴史を大型模型やパネルによる展示で紹介されていたが、2021年3月31日をもって閉館。
46億年前の誕生から今もなお生き続けている地球。人間によって引き起こされた環境問題まで紹介されていた施設には、暗く大きな闇がかかり時間の経過と共に記憶の彼方に消え去っていく。
今展では、そこに存在する地球の気配や戦争の爪痕を想起する好機になるであろう。
1702年創業。古くから伝わる手法も継承しつつ、新しい技術も取り入れ、食事とともに楽しめる酒を造り出している伝統ある酒蔵。
江戸時代初期、酒蔵の祖である初代小左衛門は岩村城主より、現瑞浪市の中心を蛇行するように流れる土岐川の治水と田畑開墾の拝命を受けた。転封が度々起こり波乱な時期ではあったが、元禄十五年(1702年)に二代目小左衛門が酒造を始めた。元禄時代に酒造を始め、始禄(しろく)という名で東海地区へお酒を届けてきた。
創業300年の節目に、地元産米を軸に小左衛門ブランドのお酒を販売開始。現在は世界40カ国へお酒を届けている。創業時の想いに心を馳せ、今もなお引き継がれている蔵内に佇む4つの井戸とそのお水、その恵みは大地に在り。標高800メートルの山頂付近に点在する数々の湿地と他類稀な土壌の恵は、なめらかで優しい仕込水として恩恵を授かっている。
何千万年もの時の中で繰り広げられている万物の営み、その賜物はイマという瞬間(人間)と微生物の共存、そして蔵の情熱こそが中島醸造の自慢。過去と今、地水火風空との調和こそが現在の中島醸造の佇まいを残し、このレガシーが時を経ても風化しない事を想像し歩んでいる。
お酒の特色はなめらかで優しく、食事との相性が良く、飲みやすく味わい深い。四季折々に変化する食材やその地の風土を想像し、幅広く様々な味わいを展開している。